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:: 客観的に見てみる。 ::

私は友達を作るのが下手だ。(特に女子)

最初は仲良くなれた友達でも、付き合って行くうちに、または付き合いが深くなっていくうちに、友達がどんどん離れていくことが多々ある(特に女子)。
私のキャラクターがツボにはまった友達は、少々のことでは離れずに、むしろかなり親しくなれるのだが、普通(普通っていう言葉自体、定義が曖昧ですが・・)の関係の友達の場合、上のように離れていっちゃうことが良くあったりする。

これは私の勘違いかもしれない。
向こうは仲良くしているつもりかもしれない。
私が勝手に「もっと仲良しのはずでしょ?」って思いこんでいるだけかもしれない。
でも、確実に離れて行く友達は居る。
そういうときは、ある些細な出来事で嫌われちゃったりしてることが多い。
私の場合は大体の場合が「ワガママ」だと思ってた。

ワガママ言われたら誰だって少なからずイヤな思いするよね。
誰だってワガママ通したいもの。
だから、きっとこれが原因だって思ってからは普通の付き合いの友達にはワガママを言わなくなった。
なるべく周りに合わせてイワユル「協調性」を発揮してた。

でもこれには落とし穴があった。
何か発言する前に、「これ言ったらワガママかな?」と考えてしまうと、自分の意見が言えなくなってしまうのだ。
自分が考えてることを相手に言えない。
相手は私が何を考えてるかわからない。
何を考えてるかわからない人と仲良くなろうと思うだろうか?

考えてみたら、普通の友達の仲でもワガママを言う子は居る。
でも、彼女は他の友達とも上手く付き合っている。
何が違うんだろう?

きっと彼女がワガママを言っても許されるキャラクターなのだ。
他の部分で補ってるからきっとワガママを言っても波風が立たずに許されるのだ。

では私の場合はどうか?
私はどちらかと言うと許されない立場に居る気がする。
許されるが、それは「権力」だったり「重圧」に変わっていたような気もする。

例えば、昔にどんどん離れて行った友達の場合だと、私と彼女の関係はかならずしも同等ではなかったように思う。
私の方がアメリカに長く住んでおり、彼女のほうが年が下だった。
私は別に気にしてなかったのだが、時にそういう肩書きは相手との関係に左右することもある。

私はそのとき客観的に自分を見れてなかった。
ちょっとしたワガママを言ってもみんなが許してくれるので、それは私は言っても許してもらえるキャラだと思っていた。
でも、きっと違った。
年上だから、こっちに長く住んでるから。
もし、そのことに気がついていたら、過ぎたワガママは言わなかったかもしれない。
そう、私は自分を客観的に見るという発想すら無かった。

簡単に言うと、自分を客観視出来るかどうか。
他人から自分はどう映ってるんだろうって考えてみる。
自分のことを第三者から見るように、客観的に見ることが出来れば、自分の意見が言えるようになる。
勿論それを言うときは、その場でふさわしい言い方に変える必要があるし、その発言がその場でふさわしくないと思えば、言うのを控えたり、時を見て言うなど、いろいろ対応出来るようになるはず。
「相手の気分を害するかもしれない」という発言は控えることが出来るようになるだろう。

これは、別に自分の意見を曲げろと言ってるわけじゃない。
相手の価値観に合わせろって言ってるわけじゃない。
自分の意見は、自分が感じたことなんだから「正しい」も「間違ってる」も無い。
誰だって違った意見を持つものだから、たとえ他の人と違っても、それはそれでいいのだ。
ただ、「今はそれを言うタイミングかな?」ってちょっと考えてみるだけ。
「これを言って、この人は分かってくれるかな?」って一呼吸置くだけ。

もし、分かってくれそうな友達なら、自分の意見、言ったらいい。
出来るだけ素直に、でも相手の立場になって。
これが「自分を客観視する」ってこと。

自分の意見を伝えようとするのは、その人に自分のことわかって欲しいからだよね。
それで、分かってくれたら嬉しいし、分かってくれなくても認めてくれたら、その友達は自分のことわかろうとしてくれてる。

でももし、分かってくれなそうな友達なら・・・言っても、言わなくてもどっちでもいいと思う。

それでも自分のこと分かって欲しいと思える相手なら、言ってみる価値はある。
それがきっかけでもしかしたら、もっと仲良くなれるかもしれないし。

でも、自分の意見伝えて、分かってくれなかったり、嫌われちゃったら?
客観的に自分を見て、相手の立場になってみて、自分の思ったことを伝えた。
それで分かってくれなかったのなら、嫌われたんなら、それはそれでイイやと思おう。

自分はその時ベストを尽くしたんだったら、きっと相手が悪かったんだと。
でも、その子のことはそのまま認めてあげよう。
「この子はこういう子なんだ」と。
「この子には分かる技量がなかったんだ」と。

それでその子のこと嫌いになったんならそれでもいい。
でも、「ま、いっか」って思えたら、この先同じことがあっても傷ついたりしないタフな自分になれる。

それに、もしかしたら自分の言い方がまずかったのかもしれない。
その失敗を元に、次は上手くやれるはず。
そして、その失敗でその子のことも客観的に見られるようになる。
「この子はこういう言い方がダメなんだな。」とか、
「この子はこういう話は無理なんだな。」とか。

また、自分は他の人からどう映ってるのかって考えると言っても、「自分を演じる」のとは違う。
自分を変えたいと思うならそれでもいいだろう。
でも、それっていつか疲れちゃう。
今の自分に好きなところが少しでもあるなら、ありのままの自分でいいと思う。
ただ、それは他の人には違う解釈されてるかもしれない。
だから、そんな自分をを客観的に見て、「自分は人にどう映るのかな?」って考えてみる必要がある。

友達の中で自分はどんな風に見られてるのかを客観的に見ることが出来れば、もっと人間関係が楽になると思う。
つまり、その人間関係に置ける自分の位置を客観視出来れば、言いたい事だって言える。

そうすれば、「普通の友達」との付き合いももっと楽になると思う。
そして、そこから「親友」が生まれるかもしれない。

「自分を客観的に見ること。」
結構当たり前のようで、今まで出来ているようで、出来ていなかった。
でも遅いことなんて無い。
これから出来るようになれればいいんだ。

そして、実際やってみると、結構難しい。
でも、その事に気が付けて良かった。

11.03.2001

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