:::PAST DIARY:::

October 2002


 「幸せであるように…。」(09/15)
 「大人と子供。」(09/16)
 「笑顔。」(09/18)




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*PAST.10/2002a*

※初めての方へ:DIARYに登場する簡単な人物紹介はコチラ。※

**10・15・02(Tue)**
『幸せであるように…。』

毎日に追われて日々が過ぎてしまい、日記もなかなか更新できない日々。
そろそろ書かないとと思い、寝不足覚悟で書こうかなと。

今私は昼間の短期のバイトと夜の塾講師のバイトと二つの仕事をしています。
朝から夜まで働いている感じなので、夜にボーっとしてたら日記更新まで手が回らないという毎日。でも書きたいことはありました。

そのうちの一つ。
今好きな人が居ます。
でも好きになってはいけない人を好きになりました。
叶わないことはないかもしれません。
でも、そこまでワガママになれないし、もしもそのことで誰かが確実に悲しくなるなら、叶えようとは思えないんです。
そして、相手は私の気持ちに気付いていません。
きっと嫌われては居ないと思います。
自分の勘違いでなければ気に入ってもらえてるとは思います。
でも、きっと私の気持ちを出せば、その人は悩んでしまうでしょう。
周りの人を戸惑わせ、傷つけてしまうでしょう。
そして、結果的にその人のことも傷つけてしまうかもしれない。

勿論自分の中のワガママな気持ちが時々顔を出すこともあります。
相手に自分の気持ちを伝えたい!
もっと私を見て欲しい!
もっと私を好きになって欲しい!
その人に触れたいし、触れられたい!
その人の心の中に入りたい、そして支えてあげたい…。
でも、それをすると今あるバランスが崩れてしまうのはわかっている。
わかってる…。

そんな気持ちで居る時、どこかからか聞こえてきた曲。

幸せであるように 心で祈ってる
幸せであるように 心で祈ってる…

これを聞いたときとても懐かしかった。
誰だったろう?昔聞いた曲。
きっとそのときはこの詩の歌詞が心まで響かなかった。
響くまでの経験をしていなかった。
若かったから。子供だったから。
でも、この間耳にしたときは私の心にスーっと入ってきた。
そしてあっという間に私に答えをくれた。

あ、そっか。
人を好きになるって相手の幸せを願うことだ。

なまじ叶えられそうな恋だとワガママになってしまう。
以前はそうだった。
去年私は奴に振られて心底ダメージを受けた。
相手に求めて、自分の気持ちを押し付けて、
そして傷つけて、やがて奴は去っていった。
好きなのに。大切だったのに。傷つけてしまった。
一番大切な人だったのに、心は離れてしまった。

振られたあといっぱい考えた。
何故こうなったんだろ?
私の修行が足りないからだ。
でも何が足りない?
人を好きになるってことがわかってなかった。
きっと相手が求めていることを感じるアンテナは持っていた。
でも時々それに気付かない振りして自分が求めることを優先してた。
それは愛じゃなくエゴ。
相手の立場になって考えるって難しい。
相手を立てたら自分が苦しくなることだってある。
それでも相手の幸せを願えるならそれがきっと本物なんだろうなぁ。
それが『無償の愛』ってやつなんだろうな。

親は子供に対して何の見返りも求めない愛情を惜しみなく注ぐ。
全てを包み込む寛大な心で。
そんな風に誰かを愛せたらきっとそれだけで幸せだ。

今はそれが本物なんだと思ってる。
また違う経験が私の考えを変えるかもしれない。
それでもそんな気持ちに気がつけたことが嬉しい。

だからその人に対して自分の気持ちを表現したいという衝動に駆られた時は、さっきの詩を思い出す。

「幸せであるように 心で祈ってる」

後でわかったんだけど、コレはかの有名なFlying Kidsの名曲「幸せであるように」の一部。
ステキな曲をありがとう。


そして、コレを読む読者の方々が幸せな気持ちになりますように…。幸せであるように…。

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**10・16・02(Sun)**
『大人と子供。』

昨日日記を書いた波に乗って今日も書いてみようかと思う。
書きたいと思ってたこと第二弾。
大人と子供。

私は社会的立場から言えば、もう十分大人としてみなされる年齢。
実年齢と精神年齢が一致しているかと言えば、多分してない。
精神的にはずっと子供。
私はどこか成長したくないという気持ちがある。
まだ大人になりたくないというか、子供のままで居たいというか。
子供のままでも許される年齢っていうのがあると私は思う。
そして、私はもうその年齢すら超えてしまった気がする。
全ては私の価値観によって導かれた答えだけれども。

アメリカに居た時は随分年下の友達ばかりだった。
自分と同じくらい、もしくは自分より年上の友達が一人も居なかった。
そんな環境に居たから、自分も周りと同じくらいの精神年齢だったし、またそうであろうとしていた節がある。
でも時々年齢差は感じていた。

日本に帰って来て、周りには自分より大人な人達が増えた。
父、母、姉、兄に始まり、今の短期のアルバイトでも一緒に仕事をしている人はじぶんよりも年上ばかり。
話をしていてもある程度の礼儀を皆さんわきまえてるので居心地がいい。
そして、段々気がついた。
「皆さん大人だなぁ」と。

昼間の仕事仲間と相反して、夜のバイト仲間は私より随分と年下ばかり。
正にアメリカに居た時と同じような環境。
最初は年下の中に居ることに慣れていた私は上手くやっていけると思った。
でも、日本だと勝手が違うんだね。
日本には昔から根底に流れている縦社会がある。
今は大分薄れつつあるとは言え、所々でそれが顔を出す。
考えてみたら私も昼間の仕事での年上の方々には年上の接し方で付き合っているので当たり前と言えばそれまでだけれど、バイトを始めて4ヶ月も経つというのに、未だに親しくなりにくい。
それはきっと私の人格にも問題があるのだろうけど、講師アルバイトの先生方には未だに壁を感じる。
そして、最近はそれでもいいやと思い始めた。
別に仲良くなる為に頑張ろうと思わなくなった。
仕事だけをソツ無くこなして、時間になったら帰るだけ。
もう別に頑張って友達になろうとは思わなくなった。
何故か。
この人達が「子供」だから。子供っつーか、ガキっつーか。
「大人」と「子供」という定義も個人的意見が入っているのは否めないので難しいけれど、私の言う意味は年齢ではなく、精神的なもの。
会話をしていても自分の意見を持ちつつも周りに不快感を与えないのが大人な気がする。
つまりはその場の空気を読める人。
子供だなと思ったのは、先生方がその場の空気を読まないから。
以前にも日記に書いたけど、ある先生を筆頭に授業後の生徒に対する悪口大会が最近顕著に耳につく。
はっきり言ってかなり不愉快。
その人が発する負のオーラで私も暗い気持ちにさせられる。
そしていつしか、「あーこの人達とは別に仲良くなれなくてもいいや」と思い始めてしまった。

そんな風に思う私も子供なんだろうか?と思うけど、私の心で素直にそう思った。
逆に昼間の人達と話していると学ぶべきことがたくさんある。
毎日小さいながらも人付き合いに関しての新たな発見をする。

そして更に気付いたこと。
段々精神年齢が実年齢に近づいてきたのかな?
それは嬉しいことでは勿論あるけれど、大人になりたくないと思っている私としては少々寂しいくも思う。

昼間の同僚は「良いお手本」として、夜の講師仲間は「反面教師」として。
結局私はどちらにしろ日々ちょっとづつ成長している。


また明日も新たな発見があるのかな?

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**10・18・02(Fri)**
『笑顔。』

今私の好きな人。
一目見るだけでソワソワ。
隣に座ってきたらドキドキ。
手がチョット触れただけでお腹がムズムズするよ。
笑顔で話し掛けられたら
それだけでその日一日が幸せ。

そしてあの人が今日も平和な一日を過ごしていますように。
明日も笑顔で話してくれますように…。


だんだん妄想日記になってきた…(´Д`;)

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